青空コメントアウト

WEBのこと、デザインのこと、ご飯のこと、趣味のこと。青空の向こうの誰かに届きますように。

プライドに振り回されて疲れてしまった自分へ

このエントリーをはてなブックマークに追加

f:id:cocoro27:20170927192252j:plain

プライドには2種類あるんじゃないかと最近気づいた。

一つは自己満足型

自分の出した成果や結果に対して持つ自尊心だったり、他人の言動に関わらず自分自身の評価軸において認められるものだったり、そういう類のものを持っていることが自己満足型のプライドだ。

たとえばエンジニアなら「これだけユーザーのことを思って、これだけ細部まで気遣いの行き届いた、すごいものを作ったんだ」というプライドがこれに該当する。一般的に「プライドを持つのは良いこと」といった話をするときに想定される「プライド」とは自己満足型のことだと思う。よくアスリートなんかが持っていてかっこいいと言われるようなプライドもこれだと思うし、ストイックさもこれに起因しているのかもしれない。



もう一つは比較型

あの人より自分のほうが優れている、という誰かとの比較から生まれるプライド。悪い意味で使われるときの「自尊心」という言葉の意味に似ている。また、悪い意味で「プライドが高い」と言われる人が持っているのがコレなのかもしれない。

エンジニアの例で言えば「あの人より自分のほうが優秀なエンジニアだ」と思うことだ。結果や成果に対してではなく、人と人で比べて自分のほうが上だと思い込むことで生まれる。そして一度自分より下だと評価した相手のことを、以降過少評価し続ける。



ここまでで十分わかるように、後者の比較型のプライドがとても厄介だ。誰かを否定することと同義だからだ。プライドを保っている間ずっと誰かを見下している。そのせいで自分の悪い結果やプロセスを見直す機会を失うことになるだろうし、素直に教えを乞うことができないだろうし、ろくなことがない。

周囲の人からしても、このようなプライドを持つ人は「人の助言を聞かない人」「相手によって態度を変える人」と見えることがあるだろうし、直接関わる人からしたら更に嫌な気持ちになるだろうから、やはりろくなことがない。



……と分かっていても、気づかぬうちに比較型のプライドを持ってしまうのが人間だ(もちろんこんな醜いものを持たずに生きている素敵な人もいるはずだ)。
そういうプライドを気づかぬうちに持って疲弊したことが何度もあるし、そういうプライドを持っている人を軽蔑したことも何度もある。いずれの場合にも言えることは、すごく疲れるということだ。精神的に。

だからそんな疲れから少しでも解放されたくて、プライドというものについて考え直してみた。そして2種類あることに気づけた。
気づいてしまうと、自分が誰かを蔑んでプライドを保とうとしたときに「ああ、また比較型になってきてるな、やめよう」と冷静に対処できた。他人が比較型のプライドを持っているのに気づいてしまったときも同様だった。意味の分からない負の感情に振り回されると疲れるが、正体が暴かれた負の感情に対しては対処できる。それに気づけただけでも、小さな成長をしたのだと僅かばかりに自分を評価してもいいんじゃなかろうか。自己満足型のプライドの第一歩として。

TOP